ブログを更新する気力がない。書こうと思うこともあるのだが、気づけば一日が終わっている。そのまま次の日になり、また一週間が過ぎる。そして、何週間か過ぎている。
書く意欲が無いのかもしれない。いや、始める力が出てこないという方が近いかもしれない。何かを始める前の小さな面倒くささが、日ごとに積み上がっている。
ブログ更新が面倒くさい理由って何だろう
なんで面倒くさくなっているのだろうか、と考えてみた。原因はいろいろあるな、と思った。
- 型にはめる書き方が面倒くさい
- 誰もみないよ、こんなブログ、そして面倒くさい
過去に学んだ正しい書き方が疲れる
数年前に学んだウェブマーケティングが頭に残っていて、それが重く感じる。タイトルは何文字以内、導入文の書き方、見出しの配置、SEOを意識する文章。
当時はそれなりに役に立ったが、今その通りに書こうとすると手が止まる。
知識自体が古くなっている可能性もあるし、今の自分に合っていないのかもしれない。「正しい形式」を気にしているうちに、書く気力が薄れていった。
役に立つ記事とは何か
役に立つ記事と言ってもいろいろある。
- 困っている人への体験談等
- 読んで満足する情報
例えば、私が書いた内容が、読む人に優越感や安心感のような感情を生む、等 - 共有される文章
- 読むだけで気が楽になる記事
- ただ面白い、で終わる記事
他にも種類はあるだろう。ただ、今の自分はどれもできないよな、と思っている
役に立たないなら書く意味がないのか、と考えることが増えた。その疑問が、更新をさらに面倒にしている。
自由に書きたい気持ち
閉鎖すればすっきりするのかもしれない。しかし、決定できないまま放置している。
もう面倒くさい、と思っている。それでもブログを閉鎖しないのなら、もういっそ自分本位に、自由に書いてみてもいいのではないかと思い始めた。
誰かの役に立つかどうかを考えず、形式に合わせず、自分のペースで書く。その結果、本気で嫌になって閉鎖するなら、それはそれでいいのだろうと思う。
メールタイトルの話
仕事でのメールタイトルは、情報が入っている方が分かりやすい。後で検索するときも役立つ。
しかしある日、「至急」というタイトルだけのメールを受け取った。反射的に開いた。普段はもっと丁寧に書く人なので、余裕がなかったのだと思う。
その時、短いタイトルのブログでも人の注意を引くことがあるのかもしれない、とふと思った。
もし突然人生が終わった場合
最近、ふと考えることがある。もし突然、私の人生が終了した場合、このブログはどうなるのか。
誰にも引き継がれないままネットに残るか、契約が切れて消えるか。そう考えると、無料ブログの方がいいのかもしれないと思うことがある。サービスの中に残っていれば、少なくともどこかに痕跡が残る可能性がある。
そこまで考えるくらいには、このブログに何らかの未練がある。面倒くさいと思いながら、手放す決断もできない。
