もう無理!って毎日思ってるアラフィフ女が今日もまだ生きている

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気づけば今日も生きてる。「もう無理!」って、ほぼ毎日思ってるのに・・・

なんなら、ちゃんと目覚ましで起きて、ごはんも食べて、仕事してる。いやほんと、えらいと思う。誰も言ってくれないから、自分で言っておく。

心も体も重たい。

「私だけこんなに不安なのかな?」と思うこともあるし、

「いや、みんなもこんな感じなのかも」と思う日もある。

とにかく、しんどいな〜と思いながらも、なんとか今日を生きのびてるアラフィフ女の話。

目次

不安が標準な私の人生

子どものころから、いつもどこかで「未来が不安」だった。少し先のこと、もっと先のこと、理由は分からないのに、とにかく怖かった。

何も起きていないのに心がざわつく。「何か悪いことが起きる気がする」。そんな漠然とした不安が、ずっとつきまとっていた。

仕事も、プライベートも、人間関係も。「今はうまくいってるかも」と思える瞬間でさえ、どこかで「きっと長くは続かない」と思ってしまう。常に身構えてしまう自分がいる。

心配性なのか、育った環境のせいなのか。自分でも理由はわからない。分からないことが、さらに不安を増やすような気がする。

ある日、脳科学者・中野信子さんの本を読んだ。たしかに難しい話もあったけれど、「なるほど」と思える内容があった。

  • 日本という国は、地震や台風など災害の多い土地である
  • そうした環境で暮らしてきた人々は、「最悪の事態を予測し、備える」ことに意識が向きやすい
  • また、日本人の多くが持つ「セロトニントランスポーターSS型」という遺伝子は、不安を感じやすい傾向と関連があるとされている

つまり、「将来への漠然とした不安」や「安心できない感覚」は、自分だけの問題ではなく、地理や文化、遺伝といった背景の中で育まれてきた感覚なのかもしれない、と。

それを知って、「自分の心のクセ」を少し客観的に見つめることができた気がした。しかし、不安は消えない。

キラキラに見えた東京との距離感

10代の頃、関東の空気の悪い田舎に住んでいた私は、テレビや雑誌で見る東京に強く憧れていた。高校卒業後、実際に住んでみて、たしかに楽しい瞬間もたくさんあった。

引越しの繰り返し

キラキラした東京には、それだけストレスも多かった。「田舎に戻りたい」と思うたびに東京の西側へ移り、でもまた中心部に住みたくなる。そんな生活をアラフォーまで繰り返していた。

結婚を機に、転勤族の夫と共に「東京→地方→東京→地方」と引越しを重ねている。そして今、久しぶりの東京生活に戻ってきた私の心と体に、異変が起きている。

東京に戻ってから体がどんどん悲鳴をあげてる気がする

東京に引っ越してからというもの、次々に体調不良に見舞われた。

  • 今までにないほどひどい口唇ヘルペス(いつもならすぐ治るのに、今回は長引いて大変)
  • 頭痛(地方にいたときはほぼ無かった)
  • 熱中症(軽い散歩で2日寝込み、点滴でも回復せず、嘔吐した)
  • 歯の腫れ(毎日ケアしていたのに、ストレスが原因?)

まだ他にもある。

まるで、「ここではもう無理だよ」と体が教えてくれているようでした。

東京での生活はもう無理なのかもしれない

体調が悪くなれば、お金もかかる。病院代、薬代、通院の時間。それに悩みメンタルもやられる。

頑張って働いても、体調不良で出費が増える。

「なんのために働いてるんだろう…」

と、ふと思ってしまう。

先日、いつも明るくてストレス知らずに見えた知人が、突然、謎の病気を発症した。病名は聞いたけれど伏せておく。どうやらストレスが原因かもしれないとのこと。

その話を聞いて、「ああ、私も同じかもしれない」と思った。見た目には元気でも、体の奥底では何かが壊れ始めているのかも。

東京暮らしがつらい、と思う

特に仕事の場面では、不安がどんどん強くなる。毎日ずっと緊張している。

失敗しないように、怒られないように、でも期待されすぎないように。そんな風に、自分を守ることばかり考えてしまう。

以前、地方で働いていたときは、もっと呼吸がしやすかった。でも、東京に戻ってきた今は、心の余裕がどんどん削られていくように感じている。

私は非正規雇用で、正社員のように大きな責任を背負っているわけではない。それでも、なぜか重たくのしかかるものがある。まるで目に見えないプレッシャーがずっと肩にのっていて、息が詰まりそうになる。

こんな状態だから、体調が悪くなっているのだろう。

東京って、こんなんだったっけ?

人生の半分以上を東京で過ごしてきた。それなのに、今回ひさしぶりに東京に戻ってきて思ったことがある。「東京って、こんなんだったっけ?」と、なんだか違和感がある。

昔はあんなにキラキラ見えていたのに、今の私には、どこかしっくりこない。それが「私が変わったから」なのか、それとも「東京自体が変わった」のか、自分でもよくわからない。

関西に住んでいたとき、珍しくひとつの歯科医院にずっと通っていた。最初は勤務先の近くだったという理由で選んだ歯医者だったけど、気づけば仕事が変わっても通い続けていた。それだけ、自分に合っていたのだと思う。

先生は、いい意味で裏表がない人だった。ときにはちょっと言い合いになることもあったけど、それすら誠実さを感じるやりとりだった。「この人、嘘つかないな」って思えた。

他の内科なんかも、同じエリアの病院に通っていた。

じゃあ東京では?

確かに、どこの医院も対応は丁寧。言葉遣いもきちんとしている。でも、なんか違和感がある。優しさというより、「クレームを避けるための丁寧さ」みたいな。表面的には感じがいいけど、どこか冷たく感じてしまう。

これは私の受け取り方の問題かもしれないし、関西にいたときの感覚が、今の自分には心地よかったのかもしれない。

いまのところ、関西の方が、自分に合っていたのかもしれない、そんな気がしている。

「東京が合わない人」もいるというだけの話

もちろん、東京がぴったり合っている人もいるだろう。私自身、かつては東京で楽しく過ごしていた時期もあった。

ただ、今の私は、もう東京の中心部では息ができないような感覚がある。

人の多さ、視界に自然がほぼ風景、空気の重さ。「圧迫感」というのか、なんだか見えない“重さ”が、日々の暮らしにまとわりついているようです。

「じゃあ大阪はどう?」と考えてみた。

実際に住んでいて思ったのは、大阪では山が見える。距離もそれほど遠くない。ほんの少し南へ行けば、自然がある。

神戸はもっとすごい。駅前から山が見える。自然との距離がとても近い。これは驚きだった。思わず深呼吸したくなる。

私にとっては、こうした自然との距離感がとても大切なのかも。

今日も「もう無理」と思いながら、それでも生きている

毎日、「もう無理かも」と思いながらも、私は今日も生きている。不安は相変わらず消えない。体調は悪いまま。

この記事は、「東京が悪い」という話ではない。ただ、「合わない場所に無理して居続けること」が、心や体にどれだけ影響を与えるか。そのリアルな一例として、私の経験を書いた。

どこで、どう暮らすか。選べる立場にあるなら、自分の「本当に落ち着く場所」を、少しずつでも探していきたい。

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